2025.6.7

ふしぎな神社-伏木神社(高岡市伏木東一宮)

海岸鎮護・海上安全を願い、もともとは海岸沿いにあったそうですが、海岸浸食の影響で江戸時代末期の1813年(文化10年)に現在の地に遷座とあります。
伏木曳山祭りは、当社の春季例祭。
面白いのはバイクの神社かと思われるほどライダーの参拝も多く、二輪ライダーに全国各地の寺社を参拝してもらい地方の活性化を目指した「疾風巡拝プロジェクト」に、富山では広田神社(富山市新屋)とともに参加しているといいます。

ここにも笏谷石

2023.02.08

残念な児玉神社(神奈川県藤沢市)

城廻りの師匠は神社巡りも好きで何度かご一緒させていただいております。
そんな師匠の引っ越しに伴う蔵書類の整理をお手伝いさせていただいた際に、師匠がこれまでに集めた神社の由緒書きを預かってきました。
自宅に持ち帰り早速整頓をしている中で思わず目に留まったのが表題の神社の由緒書きです。
明治の軍人を御祭神とする神社では乃木神社や東郷神社は存じてましたが、江の島にある当神社のことは知りませんでした。
ちなみに師匠は少年時代を江の島近辺で過ごしています。

ちょうど現在NHK総合で15年前の「坂の上の雲」が再放送されています。15年前に観た時とは改めて注目する場面が代わっているのが自分でも面白いものです。
2月2日に放送された21回「二〇三高地(前編)」では、児玉源太郎(1852〜1906、享年55歳とは若過ぎますね、ドラマでは高橋英樹が好演)が軍規に反し、乃木希典に代わり第三軍の指揮を執るまでが描かれており、特に長州藩の支藩であった徳山で育った児玉の少年時代も描かれていたことがが印象的でした。
 
当神社のHPを見ると、社殿は阿里山の檜を用いた総檜造り、鳥居と燈籠の一部には児玉の出身地、山口県徳山の花崗岩も使われているそうで、是非この目でも拝観してみたいと思いました。
児玉源太郎は台湾総督(1898年~1906年)も務めただけに、1921年(大正10年)7月に主要社殿が建立される際には多くの台湾関係者が尽力したといいます。また境内では旅順攻略で活躍した28センチ榴弾砲(もともとは東京湾などの防備に使われていた旧式の対艦攻撃用)の砲弾も、明治の技術遺産として観られるということでした。
こりゃー江の島へ電車で遠足へ!と期待がふくらみ、早速師匠に近隣での昼飯処情報などを訪ねたところ、児玉神社が競売にかけられ云々と情報をいただきました。
どうやら修復事業の奉賛金が思うように集まらず、2019年11月に競売にかけられ、神社境内地は不動産会社に渡って現在は立ち入り禁止となっているようです。これでは参拝も叶いません。確認のために神社HPにあった電話や携帯電話に電話してみるもまったくつながりません。
HPは更新もされておりますが、御祈祷や授与品は現地でなく郵送のみとあり、住所も他に所有権が移ったはずの住所そのままと???です。
ということで今回はお気に入りにノミネートしたものの、現況は残念な児玉神社についてでした。
函館戦争や西南戦争にも参加、後藤新平を抜擢した人事、旅順攻略(1904~1905年)、とくに二〇三高地線では現地に赴いての采配など、是非、児玉源太郎を祀る御社に参拝と思いましたが、とりあえずはお預けです。

2023.11.21

山の辺の道で相撲神社へ寄り道

時折、山の辺の道(大神神社から石上神社)を歩いています。
11月が圧倒的に多く、山岳部の先輩や親戚、友人とともに、何度か同じコースを飽きることもなく歩いていますが、今回は白山の仲間との散策です。
これまでも何度か歩いているルートですが、今回は初めて桜井市穴師の「相撲神社」を訪ねてみました。
何度歩いても新しい発見が嬉しいです。

德勝龍は、奈良市出身

土俵もあります

ここでレイチェル・カーソンの名前を目にするとは思いませんでした


2023.11.01

水海道の諏訪神社

団子詣での後は神社参詣です。
旧水海道町(水海道市が石下町を編入し常総市へ)のほぼ中心にある諏訪神社ですが、ケヤキが立派。狛犬も素晴らしいです。
町の名前も諏訪町でまさに水街道の鎮守様です。
毎年10月10日は例大祭だそうです。


2023.09.16

身代神社と姫宮神社

身代神社

姫宮神社

昭和30年に須賀村と百閒村が合併し宮代町が誕生した際に、それぞれの村の鎮守の名前から一字ずつ取って「宮代町」としたといいます。
身代神社(このしろ神社)は荒れていましたが、社殿建て替え準備中のようでした。創建は鎌倉時代の1242年。
一方桓武天皇の孫の宮目姫の悲話が伝わる当社の本殿は1715年と伝わります。

身代神社の狛犬

姫宮神社の狛犬

身代神社

姫宮神社

姫宮神社の狛犬

姫宮神社の狛犬

姫宮神社



2023.08.02

気仙沼・浮見堂にえべっさん現る?

311前に一度、その後2度ほど訪れている気仙沼ですが久しぶりです。
これまでの訪問の中で気になっていた場所が神明崎と浮見堂です。
いつも湾内から眺めるだけでしたが、今回は何かに誘われるかのうように辿り着きました。
全国的に平年を上回る猛暑の中、ここ気仙沼でも陽ざしが強く暑さの中での散策です。
しかしどういうことでしょう?神明崎公園から先端の浮見堂までは風がなくむっとした中を進みましたが、浮見堂に着くやいなや心地よい涼風が吹いています。
更に進めばやはり風はなく、どうやらこの浮見堂のみに届く風のようでした。
そしてこの浮見堂には避暑のためでしょうか?地元のおじさんが一人佇んでいます。
少し会話をかわし、海苔養殖の先駆者である猪狩新兵衛を祀った猪狩神社や五十鈴神社を参拝し、再び浮見堂に戻りました。やはり心地よい涼風を浴びながら、まだおじさんがいたので会話を楽しみます。
そしておじさんともお別れとなりましたが、ここまではよくある話だと思います。

2代目恵比寿様

3代目恵比寿様と猪狩神社

五十鈴神社

実はこの浮見堂にはすぐそばに311以降、遊歩道ともに再建された恵比寿像(三代目でカツオを釣りあげているお姿です)がありますが、2代目(1988年建立、鯛を釣りあげているお姿)は震災時に行方不明となり、その後発見され現在は猪狩神社のおそばに立ちます。
ちなみに初代は1932年に建立さるものの、太平洋戦争による金属回収のため供出。
つまり何を言いたいのかと申しますと、あの地元とおぼしきおじさんは、本当はこの現実社会に現れた恵比寿さんではないか?ということです。
会話の雰囲気や飾らずどこか、この海と暮らしてきたあからびた顔の表情からは、まさに像ではなく人の姿を借りてこの浮見堂に佇む恵比寿様ではなかったかと、、、、。
2代目、3代目の恵比寿像、涼風と共にこの世におわしめられたえべっさんとの出会い、今回の気仙沼も素晴らしい旅となったことに感謝です。
えべっさんと佇む師匠の顔も恵比寿顔ですね。

城廻りの師匠とえべっさん

2023.04.17

尾添「開成社」

時に人はおもいもがけぬ出会いをすることがあります。
例年1月下旬は、千葉の海へ昆布養殖の種糸付け作業に出向いていますが、同じく毎年ボランティアで参加していただいているMさんに今回、私の同僚として初めて種糸作業を手伝ってくれた先輩を、「白山室堂で一緒に働いていた先輩です」と紹介したところ、自分の祖父は白山麓の尾添で天災後の救済と復興や白山登山新道に尽力した松本源祐だといいます。
「おぞ(尾添)」という地名に、私の記憶も一瞬戸惑いましたが、岩間道や中宮道、そして笈ヶ岳へのアプローチと若い頃によく訪れていた地です。
今回帰省に際しその松本源祐が祀られている「開成社」を参拝してきました。
松本源祐の功績については白山自然保護センターの「はくさん」第16巻3号にも詳しく紹介されています。

2023.04.16

瀬越白山神社

旧瀬越小学校から瀬越橋を散策し白山神社へ向かいました。
鳥居は広海二三郎が明治26年9月吉祥建立、とあります。
明治22年には小樽に広海倉庫を建て、明治29年には日本海上保険を設立し社長につくなど二三郎全盛の頃ですね。


広海汽舩の乗組員一同の名が見られる石灯籠横の石碑(右)
九重山広海硫黄鉱従業者一同とある石灯籠(左)
広海二三郎は1896年(明治29年)に鉱業に参入し、同年大分の「九重鉱山」の採掘権を取得しています。1916年には広海二三郎は天然硫黄王と呼ばれるようになったそうです。

▼大聖寺川横の大家七平家住宅(非公開)
四代目七平は、広海二三郎の弟(四代目広海二三郎の息子)で明治19年大家家を継ぎ、四代目を襲名。
明治29年には政府の要請でウラジオストク航路を初めて開き(明治36年「大家商船合資会社」を設立)、日露戦争には所有の汽船を提供するなど貢献。
大正10年(1921)には「大家商事株式会社」を設立しています。
広海二三郎同様鉱業にも進出したり、大阪瓦斯社長、大阪商工協会名誉会員などを務めた名士です。
小樽市指定歴史的建造物第1号となった旧大家倉庫(明治24年、1891年)も有名ですね。

2023.04.13

笏谷神社と七つ尾口採掘場

足羽神社から次ぎに笏谷神社を目指しました。
福井県神社庁のサイトによれば「御神体は、足羽山上の継体天皇御神像を笏谷石で彫刻し安置して区民の氏神とした」とあります。
継体天皇が手にする笏で足羽山の西方の谷を指して、採掘を奨励したと伝えられる「越前青石」。この地は「笏谷」と呼ばれ、その石の名が「笏谷石」となります。
この神社の周辺から採出された「笏谷石」は、足羽川を通じ日本海まで運ばれ、北前船で全国に広まったそうです。
神社近くにはる笏谷石採掘場の七ツ尾口があります。内部は見られませんでしたがこちらのサイトに詳細がありました。一本義さんの酒造庫としても使われていますね。

2023.04.12

足羽神社の石守り

江差をはじめ、昨年の北海道の北前船の寄港地を巡る旅で、印象に残ったのが北前船が運んできた笏谷石(しゃくだにいし)でした。
神社の狛犬や建物の基礎石の束石(つかいし)としても使われていたことを知り、その狛犬が「越前狛犬」と呼ばれたように、石の産地が福井市足羽山(あすわやま)で産出された「笏谷石」ということで、今回その「釈谷石」「ふくいブルー」の足羽山を訪ねて来ました。
まずは足羽神社です。継体天皇を御祭神とし、越前祖神と称されます。
鳥居をはじめまさに笏谷石ワールドでした。
笏谷石の石守りという珍しいお守りもありがたいです。

2023.03.27

萩日吉神社の狛猿と児持杉

狛犬ならぬお猿様がお迎えてくれます。
子供を抱く吽形(左側)と桃を食べる阿形(右側)の猿には戌年の小生でも表情が和らぎます。
面積の約7割を山林が占めるという「木のくに」埼玉県ときがわ町は「巨木の里」として知られ、今回はこの萩日吉神社の鳥居の横にそびえ立つ児持杉(樹齢推定八百年)を師匠と訪れました。児持杉は男杉と女杉からなり、子授けのご利益で知られます。
毎年1月第3日曜日の例大祭では、ときがわ町にある白楊(どろのき)の木を使った神猿の人形がいただけるそうです。

鳥居と児持杉

児持杉

萩日吉神社の神楽殿

2023.03.21

正法寺の大銀杏と箭弓稲荷神社

東松山の正法寺から箭弓(やきゅう)稲荷神社に向かうみちすがら、灰田勝彦の「野球小僧に逢ったかい♪♪♪」を口ずさむと、師匠から「よくそんな古い歌知ってるねー」とのお言葉を。
はい、この歌(昭和26年、佐伯孝夫・作曲、 佐々木俊一・作詞、日本ビクター)、特に今では「野球小僧は ウデ自慢 凄いピッチャーで バッターで」の歌詞が大谷翔平を彷彿とさせますね。
そうこうするうちに箭弓稲荷神社へ。このWBCの影響でヌートバー選手のお母さんの出身地、埼玉県東松山市が大変盛り上がっており、その東松山にあるその名も「やきゅう神社」への参拝者が増えていると聞きました。
たしかに絵馬にはボールやバット、バッターの絵のものも散見されるほか、侍ジャパンの必勝を祈願したものも観られました。
さて正法寺の大銀杏ですが、やはり銀杏は銀杏の葉が色づいている頃にまた訪ねてみたいものです。また、ここと源頼朝や鎌倉との関係が面白く、この関係でも再訪有りです。
岩殿観音正法寺さんサイトが勉強になります。

岩殿観音として親しまれている正法寺の大銀杏、樹齢は700年を超えると推定されていますが、やはり銀杏は黄葉がいっぱいの時期がいいですね。